部下を持つようになって思うこと
私は、社会人11年目(2021年現在)の建築系の会社で働くサラリーマンで す。
名実共に部下というものを持つようになって約1年が経とうとして いますが、
最近部下と接していて、オヤオヤ?と思うことが続いています。
そのことを今日は、まとめたいと思います。
下っ端時代が長いゆえの部下指導への苦悩
さて、私は、部下をもつことになったのは、比較的最近です。
結構、下っ端歴が長かったのです。
新入社員や、若手がなかなか配属されない(ある意味ハードな) 部署で、ひたすら下っ端をやること約7年。その後、部下を持つようになりましたが、 年上の部下が中心でした。(退職再雇用のおじいちゃんとか)
このため、業務上、指揮命令系統には乗っているものの、 あんまり部下という感じではなかったのです。
つまり、部下(とりわけ若いフレッシュなやつら) 指導というのは、まだまだ勉強中の身です。
それが1年前に、年齢も、入社年次も、役職も、 全てにおいて私より若い、ホンモノの部下が誕生したのです。
しかし、これが結構年齢が離れているもので、 一つ壁にぶつかりました。
価値観が違う、違いすぎるということです。
ひと昔前、 ゆとり教育によって鈍磨された世代をゆとりといって揶揄すること がありましたが、、、、これは、新しい価値観なのか?
あるいは、彼奴(きゃつ)が、未熟なだけなのか?
そのミシン目を探しながら、適度に教育をしていくというのも、 部下を持った者の責務だと考えています。
お膳立て人間
私が、「未熟」のカテゴリと判断しているものの中には、
誰かがお膳立てしてくれるのを待つ、あるいは、 お膳立てしてくれて当然というマインドがあります。
私はそういったマインドの彼奴等を「お膳立て人間」 と命名しました。
お膳立て人間は、だいたい下記のような特徴を持っていて、時折先輩社員をイラつかせています。
お膳立て人間のマインド①
仕事を誰かが今の自分の状態を考慮して、
いい感じに仕事をお膳立てしてくれるものだと思っている
(お膳立てが足りないとすぐ不満を漏らす)
お膳立て人間のマインド②
誰かが、今の自分の状態にピッタリの案件を受注して、
Eeee感じに自分に与えてくれるものだと思っている。
(仕事がなければ、どうやって作るかを考えない。)
お膳立て人間のマインド③
誰かが、自分のキャリアや成長を考慮して、
イイイイ感じに仕事を細分化して、 自分を鍛えてくれるものだと思っている
(「成長ファーストではなく、仕事ファースト」ということを理解していない)
目の前に仕事があれば、 それが自分の求めている仕事でなくてもやらなければいけない局面 は絶対あるのです。
そりゃー、確かにある程度は、部下の状態を考慮しなければならないし、
成長やキャリア形成を支援するために、 お膳立てする必要があると思うのだが、仕事場は、学校でもなければ、予備校でもないのである。
基礎問題を解いた後に、 誰かがちょうどいい応用問題を与えてくれる訳ではない。
でも、そのサジ加減が重要で、 全く個々人の成長を考えずに基礎問題ばっかりやらせている職場だ としたら、離職されても仕方ないと思います。
とにかくお膳立て人間め、その考え方を改めさせてやるぜ、あの手、この手でな!
待っておれ!笑
一昔前は、ドツいていたら何とかなる、と思っていた節がありますが、
先輩が怖いから従う(変わる)というのも何か違うと思うのです。
最近はもっぱら、「人が変わるのは、その人自身にメリットがあって、変わりたいと心の底から思った時のみ」という考えに従って、自発的変化を促すような指導を考えています。
古典的名著からいろいろなヒントを得ながら、後輩指導をしっかりせねばと、思う今日この頃